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2008/02/03 日記<日産自動車サッカー部>
日産自動車サッカー部
日産自動車サッカー部(にっさんじどうしゃサッカーぶ)は日産自動車のサッカー部。創部は1972年。呼称は「日産」。1993年からスタートした日本プロサッカーリーグ|Jリーグでは、横浜F・マリノスの前身となったクラブである。概要
1970年代当時の日産は日産自動車硬式野球部|野球部が都市対抗野球大会で活躍する強豪として知られていたが、野球のオフシーズンに全社を挙げて応援出来るスポーツが必要として1972年にサッカー部が創部された。2年後の1974年にヤンマーディーゼルから加茂周を監督に迎え本格的な強化に取り掛かる。その際に加茂は初のプロ指導者となった(日産ではテストドライバーや医師が一年契約の嘱託契約として仕事をしており、比較的簡単に契約出来た)。そして加茂の就任5年後の1979年に日本サッカーリーグ1部昇格を果たした。1部に昇格した事で、加茂は守備的なサッカーから攻撃的サッカーへ転換を図る。1980年に中大の金田喜稔、翌1981年には明治大学の木村和司、1982年に元フジタのアデマール・ペレイラ・マリーニョ|マリーニョを獲得し、1983年には水沼貴史を筆頭に6人の代表クラスの新卒選手が大量加入。これらの大型補強が実り1983年、1984年とJSLで2位、1983年と1985年の天皇杯全日本サッカー選手権大会を制覇と結果を残した。また環境改善も積極的に推し進め、当初は新子安のグラウンドを使用していたが、1980年に獅子ヶ谷に新しいグラウンドとクラブハウスを建設。
長年、会社と交渉した結果、1985年に木村和司、マリーニョが契約選手として認められ、翌1986年に木村はスペシャル・ライセンス・プレーヤーとして国産プロ第1号となった。また同年に厚生課が主体となり「日産フットボールクラブ」が設立。長期的な視野に立った自前の選手育成を目指しファーム、ユース、などの下部組織や女子チームの日産FCレディースを新設。後のプロリーグ参加への足掛かりを作った。1987年に元ブラジル代表の主将ジョゼ・オスカー・ベルナルディ|オスカーを獲得。オスカーの加入は守備面の修正とプロ意識をもたらし、1988-1989シーズンではJSL、天皇杯、JSLカップの三冠を達成。その後も、JSL末期の1980年代後半から1990年代初頭に数多くのタイトルを獲得した。ライバルの読売サッカークラブ|読売クラブとの一戦は両者とも攻撃的なサッカーを志向した点や、将来のプロ化を見据えたクラブ同士という点もあって人気カードとしてサッカーファンの注目を集め、1991-92シーズンの第21節、1992年3月22日に国立競技場で行われた試合では6万人の観衆を集める盛況ぶりであった。略歴と主なタイトル
1972年 創部
1976年 関東社会人リーグ昇格
1977年 JSL2部昇格
1979年 JSL1部昇格天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯
1983年、1985年、1988年、1989年、1991年日本サッカーリーグ
1988年/89年、1989年/90年JSLカップ
1988年、1989